2026年、2人のゼロイチが逝った——彼らが変えた日本の風景

2026年、日本の経営史に刻まれる2人が逝った。


4月6日、ゼンショーホールディングス創業者・小川賢太郎さん。77歳。
5月18日、セブン&アイ・ホールディングス元会長・鈴木敏文さん。93歳。

僕はこの訃報を聞いて、しばらく考え込んだ。
2人が変えた「日本の風景」は、あまりにも大きすぎる。

コンビニが変えた日常

1974年、東京・豊洲。
鈴木敏文さんがコンビニ国内1号店を出店した時、誰もが「そんなものは流行らない」と言った。

深夜に明かりがついている店。
おにぎりとコーヒーが24時間買える場所。
ATMがあり、公共料金が払える空間。

今では当たり前のその風景は、誰かがゼロから作ったものだ。

鈴木さんが一生貫いたのは「お客様のために」という一言だった。
流行を追わず、顧客の「まだ言葉になっていないニーズ」を先読みし続けた。
それが日本のコンビニを世界最高水準に押し上げた。

外食を変えた使命

小川賢太郎さんの経営理念は、実にシンプルだった。
「世界の飢餓と貧困をなくす。」

東大中退。港湾労働。吉野家入社。
そして1982年、横浜でゼンショーを創業した。

すき家・はま寿司・なか卯——
多くの外食ブランドを育て、2025年3月期には国内外食企業として初めて連結売上高1兆円を超えた。

でも小川さんが本当に作りたかったのは、数字じゃない。
「誰もが安く、美味しく、安心して食べられる社会」だったはずだ。

使命が先にあった。利益は後からついてきた。

2人に共通するもの

鈴木敏文さんと小川賢太郎さん。
業種も手法も違う。でも僕には共通点が見える。

どちらも「ゼロイチ」を作った人間だ。

ゼロイチを作るとは、孤独を引き受けることだ。
誰も信じてくれない時期を、信念だけで歩き続けることだ。
「そんなものは流行らない」という声を、背中で聞き流すことだ。

そしてどちらも、使命から逆算して経営していた。
利益を目的にした経営者は、壁にぶつかった時に折れる。
でも使命を持った経営者は、壁をも楽しむ。

それが29年経営してきた僕の確信だ。

彼らが作った風景を、守る仕事がある

コンビニエンスストア。ファミリーレストラン。牛丼チェーン。
2人が作り上げた外食・流通の現場には、今日も無数の店舗がある。

看板が傷んでいないか。
店舗の設備が老朽化していないか。
お客様が安心して入れる空間が保たれているか。

それを守るのが、僕たちの仕事だ。

経年劣化ではなく、歴史と伝統に育てていく。
腐らせるのではなく、発酵させ続ける。

2人の巨人が作ってくれた日本の風景を、
僕たちは現場から支え続けたいと思っている。

鈴木敏文さん、小川賢太郎さん、ありがとうございました。
ご冥福をお祈りします。


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髙倉 博

株式会社店舗ドック代表取締役

1970年、東京都世田谷区生まれ。
大学進学に失敗し簿記の専門学校へ進んだ経験が、「大卒者には負けない」という原動力となる。

卒業後、父親の会社で「自分が脇役の人生になってしまう」と焦りを感じて起業。
創業7年目の34歳で看板用LED事業で成功を掴むが、取引先の倒産などが重なり、36歳で1億円の借金を抱える。

最愛の母の死をきっかけに人生を見つめ直し、コンサルタント長山宏氏との出会いを経て再起。
「不安や不便を見つけ、クリエイティブに解決する」(快適の創造)というミッションを見出し、大手企業向けの看板業務代行に注力して評判を得る。

しかし42歳の時、社内クーデターを機に自暴自棄となり酩酊し、社員旅行の宿泊先の窓から飛び降りるも、標識に衝突し奇跡的に命拾いする。
自分を見つめ直し「看板で悲しむ人をゼロにする」という使命を確信し、「看板ドック」事業に邁進。

多くの顧客に支持され、2025年10月1日には、27年間続いた社名を「株式会社店舗ドック」に変更し、業界の更なる変革を目指している。


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