髙倉博は宇宙人

12、3年のつきあいになる看板業の一人親方がいます。

初めて会ったのが彼が20代の終わりの頃でした。
当時は僕たちも看板専業で、彼には、この看板をこう作って、ここにこうやってつけて、と看板に特化した仕事を出していました。
はい、はい、といって素直についてきてくれる「うい奴」だったのですが、「看板ドック」を始めた頃からちょっと様子が変わってきました。


僕は彼に、
「『看板ドック』っていうのはね、お客さんにとっても、看板にとっても、職人にとってもこの上ないハッピーな仕事なんだよ」
と熱をこめて話していました。
最初は「へえ、そうなんですか」とつきあってくれていたのですが、そのうちしびれを切らしたように
「髙倉社長は宇宙人で、宇宙語をしゃべっているから俺にはわからない」
といいだすのです。


「わるいけど『看板ドック』はめんどくさい。俺はこれまで通り、看板のほうをやります」
それが結論でした。
他の人からも同じような返答はよくされて慣れっこになっていたので、僕はそれ以上彼にはつっこまずにいました。


「髙倉さんは宇宙人」といわれるのもよくあることです。
漫才のギャグみたいに「ちょっといってることがわかりません」といわれがちなんですよね。
一般的に、僕たちは「わかる」ことを大事にしていますから、「わからない」ことを目の前に持ってこられて、熱心に語られたりしたら、拒否反応が出るのでしょうね。
僕も「わかる」ことが大事だから「わかりあおう」として話しているのですが、相手にすれば未知との遭遇でしかなかったと。


そんなわけで、この一人親方は看板専業でがんばっていましたが、少し前から「看板ドック」も手伝ってくれるようになっていました。
最近は大手の飲食業も出店が減っています。
新規の看板の制作や取り付けが減っている一方、「看板ドック」は安定的に出ているという現状を見ての、彼の一言。
「『看板ドック』の仕事がいちばんいいです」


なぜなら、納期がロングレンジ。
この3か月で50件検査してくれ、という依頼ですから、自分の都合でやりくりできます。
予定していた日に雨が降ったら、きょうでなくていいや、と変更できますし。
看板の取り付けは夜間に突貫工事的になることがよくありますが「看板ドック」は昼間の仕事ですから体がきつくない。


「老後のことを考えても最高ですよ」
と40そこそこの彼がいうのも面白いのですが、ほんとうにそんな長い目で見て続けられる仕事だと思いますね、「看板ドック」は。
「最初に髙倉さんから聞いたとき、あんなこといってた僕が、いまは職人仲間を増やそうとやっきになってます」
これもうれしい言葉でした。


「職人に『点検やろうよ』っていうと『点検?なにそれ?』って返ってきます。
 『俺もそう思ってたけど、始めてみると計画的に動けて、慣れてくると効率もいいんだよ』と口説きに口説いてます」
そんな彼に僕から称号を付与しました。
「宇宙人2号」です。


1号の僕と違って、2号は最初に否定したところから始まっているから、また別の説得力があるでしょう。
「なにそれ?」っていう職人の気持ちもわかるし、やってよかったっていう経験もある。
彼から始まる職人仲間の「看板ドック」ネットワークに期待しています。


初対面のときの彼は職人らしからぬスーツ姿でした。
彼を紹介されて初めて発注した現場で不手際があり、菓子折りを持って謝りにきたのでした。
僕は、損失の補填はこっちでなんとかするから、その代わりこれからうちの仕事を受けてよ、と頼みました。
当時職人さんがなかなか見つからなくて困っていたので。


彼としては、怒られてお金を取られると思っていたのに、お金はいらないから仕事をしてくれ、という正反対の対応をされ、ほっとするやらうれしいやら。
それからはなにがあっても協力してくれるようになりました。


その彼をもってしても「看板ドック」はすんなり始めてくれなかったのですが、いまやさっき書いたように宇宙人2号として活躍中、「店舗ドック」に至っては
「僕ら、高圧洗浄でも屋根洗浄でも、機械を買うのでやらしてください」
という意気込みを見せてくれています。


宇宙人の増殖には10年近い時間がかかりましたが、宇宙人1号はやめることも星に帰ることもいまのところできないので、今後も宇宙人らしく続けていこうと思います。
株式会社店舗ドックの社長はじつは宇宙人髙倉博なので、地球の表面積の3割に過ぎない陸地からなる世界は余裕で目指せる、ということも覚えておいていただければ幸いです。


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髙倉 博

株式会社店舗ドック代表取締役

1970年、東京都世田谷区生まれ。
大学進学に失敗し簿記の専門学校へ進んだ経験が、「大卒者には負けない」という原動力となる。

卒業後、父親の会社で「自分が脇役の人生になってしまう」と焦りを感じて起業。
創業7年目の34歳で看板用LED事業で成功を掴むが、取引先の倒産などが重なり、36歳で1億円の借金を抱える。

最愛の母の死をきっかけに人生を見つめ直し、コンサルタント長山宏氏との出会いを経て再起。
「不安や不便を見つけ、クリエイティブに解決する」(快適の創造)というミッションを見出し、大手企業向けの看板業務代行に注力して評判を得る。

しかし42歳の時、社内クーデターを機に自暴自棄となり酩酊し、社員旅行の宿泊先の窓から飛び降りるも、標識に衝突し奇跡的に命拾いする。
自分を見つめ直し「看板で悲しむ人をゼロにする」という使命を確信し、「看板ドック」事業に邁進。

多くの顧客に支持され、2025年10月1日には、27年間続いた社名を「株式会社店舗ドック」に変更し、業界の更なる変革を目指している。


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