出すぎた杭の髙倉、噂の男になる

僕はいま、三つの「長」を務めています。

株式会社店舗ドックの「社長」。
銀座男声合唱団の「団長」。
縁活倶楽部の「会長」。
会社、趣味の集まり、異業種交流会それぞれでのトップ。
「長」のグランドスラムといってもいいかもしれません。


内外に向かってこれ以上目立つ存在はない、というところまできてしまいましたが、社長以外は自分から手を挙げたのではありません。
団長も会長も、先代や先達からの白羽の矢を受けて就任させていただいた立場です。
とはいえ、三つまでの「長」になってみて、感じることはいろいろとあります。


いちばんの変化は、人から直接に自分の評価を聞くことがなくなったということです。
以前は、アンチもシンパも、僕に直接、髙倉さんってああじゃないか、こうじゃないかといってきていたのです。
僕は、人からなにかいわれても、落ち込んだり、逆に舞い上がるほど喜んだりもしないほうですが、面と向かってだとそれなりのストレスはありました。


それが「長」の三冠王になってみたら、僕に直接にいってくる人がいなくなりました。
理由は僕にはよくわかりません。
いってきたければいってくればいい、と思っているのですが、なぜかいってこない。


「こういうふうにいっている人がいたよ」と教えてくれる人がいたり、
「みんなそう思ってるよ」と伝えてくれる人が一定数いたりはします。
まあ、内容としては不確定な話なので、とくにネガティブなものは聞き流していますが。


どこかで誰かが僕のことを語っている、そんな「噂の男」になったのでしょうか。
1969年のアメリカ映画「真夜中のカーボーイ」の主題歌が、ニルソンの「うわさの男」。
「みんなが俺の話をしている」と始まるすごくかっこいい曲です。
「噂の男・髙倉博」もなかなかよくないですか。


銀座男声合唱団の団員は約50人。
縁活倶楽部の会員は50社で約100人。
僕を見ている目の数はそれぞれ倍で、100個と200個。
それらに映っている僕はどんな「長」なのでしょう。


お褒めの言葉からピックアップすると、
「髙倉さんっていつも楽しそうだよね」
「団長の役割を謳歌してるみたいだね」
だそうです。
おっしゃる通りその通りで、傍目にもそう見えているのがうれしいです。


10個下の親しい後輩がいます。
出会って10年です。
その当座「10年後、いまの髙倉さんみたいになりたい」といって、僕がやっていることをぜんぶ追いかけてきました。
ゴルフも、銀座男声合唱団も、ボクシングも。


そして10年経ったいま。
「楽しいすよねえ、こんなに仲よくなれて。
 でも、ぜんぜん追いつかないですね。
 髙倉さんはだいぶ先にいっちゃった」
といっています。


「当たり前だろ、僕は1 0歳上なんだから、どこまでいっても10年先にいるよ」
と答えますが、そういう気持ちでいてくれるのはありがたいです。
僕自身も、いまでも先輩たちをそういう目で仰ぎ見ていますから。
60代になったら、あの方のような経営者になっていたい。
70代になっても、あの方のように現役でいたい。
年齢は追いつけませんが、そのときの僕を、いま見ているあの方の姿に重ねることができたら本望です。


56歳現在、三つの「長」を務める僕としては、社員、団員、会員、のすべてに好かれることはできません。
また、全員に嫌われることもできません。
それぞれの立場で、いうべきことはいって、好くのも嫌うのも相手に任せるほかはないのです。


前に勤めていた子が、最近になって戻ってきてくれたり、手伝ってくれたりしています。
「やっぱり、社長と働くと楽しいっすわ」なんていってもらえると、離れていた時間の長さ分、うれしさも増し増しです。
お互いにその間いろいろなことがあった上でのいま。
社長と社員の間にも「復縁」ってあるんだな、としみじみ感じています。


過去、現在、未来を貫く自分がいます。
僕がコントロールできるのは、その自分の考えかたと行動だけです。
好かれても嫌われても、噂されてもされなくても、毀誉褒貶いろいろあっても。
つねに変わらず僕自身でいることが、すべてへの答えだと思います。



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髙倉 博

株式会社店舗ドック代表取締役

1970年、東京都世田谷区生まれ。
大学進学に失敗し簿記の専門学校へ進んだ経験が、「大卒者には負けない」という原動力となる。

卒業後、父親の会社で「自分が脇役の人生になってしまう」と焦りを感じて起業。
創業7年目の34歳で看板用LED事業で成功を掴むが、取引先の倒産などが重なり、36歳で1億円の借金を抱える。

最愛の母の死をきっかけに人生を見つめ直し、コンサルタント長山宏氏との出会いを経て再起。
「不安や不便を見つけ、クリエイティブに解決する」(快適の創造)というミッションを見出し、大手企業向けの看板業務代行に注力して評判を得る。

しかし42歳の時、社内クーデターを機に自暴自棄となり酩酊し、社員旅行の宿泊先の窓から飛び降りるも、標識に衝突し奇跡的に命拾いする。
自分を見つめ直し「看板で悲しむ人をゼロにする」という使命を確信し、「看板ドック」事業に邁進。

多くの顧客に支持され、2025年10月1日には、27年間続いた社名を「株式会社店舗ドック」に変更し、業界の更なる変革を目指している。


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