銀座男声合唱団に派閥ができない不思議

ある国のある政党では、派閥を解消したとかまた作られているとかいないとか、いろいろな話が聞こえてきますが、人がある程度の数集まれば、内部にグループができ、派閥らしきものが生まれるのは自然ななりゆきであると僕も思います。

人間は群れで生き残ってきた種ですから、群れの仕草が遺伝子の記憶に刻まれているのは想像に難くありません。


そんな人類始まって以来の自然な流れにのらない組織があるとしたら、なにか特別な理由があるのでしょう。
じつは僕が三代目団長を務める銀座男声合唱団は、50人近い団員がいるのに派閥ができない不思議な集団なのです。
その理由を考えてみました。


一つには、合唱という趣味、つまり遊びの集まりだということ。
利害関係はなく、主義主張が異なるということもなく、音楽性うんぬんをいえるようなレベルの団員はほとんどおらず。
人気バンドが「音楽性の違い」で解散したりしますが、僕たちには違えるほどの音楽性はまだありません。
利害や権勢を競う複数の小ボスは要らず、団長という大ボスが一人いれば用は足りてしまいます。


とはいえ、ほとんどのメンバーが経営者で、自分の会社ではボスです。
いうなれば自己主張が強く、社員では務まらないからこそ経営をしている人間が50人集まっているわけです。
かくいう僕もご他聞にもれません。


28歳での創業からもう28年社長をやっていて、社長以外の生きかたはできず、そろそろ社長人生のほうが長くなりはじめるタイミングです。
僕自身が、お気に入りの団員を集めて取り巻きを作ることだって可能ではないでしょうか。
でも、そんなことをする気にはちっともなれません。
面白くもないし、そもそもナンセンスじゃないですか。


初代団長坂本孝さんは僕にとって雲の上の人でした。
その方が率いる銀座男声合唱団に参加させていただけたとき、僕は自分にできることならなんでもして貢献したいと思いました。
事務方が手薄なのはすぐにわかったので、自ら事務局を申し出ました。


最初のカーネギーホールコンサートのときは、事務局はまだ僕一人で、まさにてんてこ舞い。
でも裏方をやったからこそ、舞台に立つのが楽しかったのです。
他の団員の3倍4倍楽しんだのではないかと思います。


その後、事務局員になってくれる後輩が現れ、僕は事務局長に。
そして僕が三代目団長に就任したので、事務局長も二代目になったのですが、いま事務局員は三人くらいずつの持ち回りにしているのだそうです。


裏方って経験しないと大変さがわかりません。
逆にいうと、裏方をやったことがないと裏方の苦労を知らないから、悪気なくもっと苦労をかけてしまうことにもなります。
だから、団員みんなが持ち回りで事務局員をやってみるというのは、団にとっても団員本人にとってもすごくいいことだと思います。


前回のホワイトデーのコンサートでも、受付をやっている今回の事務局員に「変わるよ、ちょっと休んできなよ」と、今回は無職の団員が声をかけていました。
自分が受付をやったことがないと、ずっとそこに立っているのがどんなにしんどいか気づけません。
僕たちって、悲しいかな、そういう想像力はなかなか持てないものです。


でも、それを責めることなく、実際に一人一人が経験することで、みんなで大変さを分かち合える合唱団になっていることを、三代目団長としてとても誇らしく思っています。
こんなにも思いと行動の美しさを見せてくれる集団で、派閥や取り巻きを作るなんてナンセンスだという僕の気持ちもわかっていただけるのではないでしょうか。


舞台にはステージライトが煌々と投げかけられています。
その上で晴れがましく歌うのと、光の当たっていないところで頑張るのは、同じだけの価値があります。
裏方を経験することは、銀座男声合唱団に参加する価値を倍、いやそれ以上に高めてくれるでしょう。


二代目事務局長が、この前、感に耐えたように僕に聞いてきました。
「これを髙倉さんは一人でやってたんですか」
「うん、でも一人だったからね、君たちみたいに細かくはやってないよ」
と答えました。
彼らのきめ細かい裏方作業が、銀座男声合唱団の心のハーモニーを支えてくれているのです。


上下関係で若いのに雑用をやらせて年長者はなにもしない、という体育会系みたいな組織ではなく、こんな感じでできあがっていくチームってほんとにいいな、と思います。
「一人はみんなのために、みんなは一人のために」という言葉が生きて動いているのが見えるようです。


銀座男声合唱団には裏方が50人いて、スターも50人います。
そんな自己紹介ができる日も遠くないでしょう。



最新記事

最新記事

髙倉 博

株式会社店舗ドック代表取締役

1970年、東京都世田谷区生まれ。
大学進学に失敗し簿記の専門学校へ進んだ経験が、「大卒者には負けない」という原動力となる。

卒業後、父親の会社で「自分が脇役の人生になってしまう」と焦りを感じて起業。
創業7年目の34歳で看板用LED事業で成功を掴むが、取引先の倒産などが重なり、36歳で1億円の借金を抱える。

最愛の母の死をきっかけに人生を見つめ直し、コンサルタント長山宏氏との出会いを経て再起。
「不安や不便を見つけ、クリエイティブに解決する」(快適の創造)というミッションを見出し、大手企業向けの看板業務代行に注力して評判を得る。

しかし42歳の時、社内クーデターを機に自暴自棄となり酩酊し、社員旅行の宿泊先の窓から飛び降りるも、標識に衝突し奇跡的に命拾いする。
自分を見つめ直し「看板で悲しむ人をゼロにする」という使命を確信し、「看板ドック」事業に邁進。

多くの顧客に支持され、2025年10月1日には、27年間続いた社名を「株式会社店舗ドック」に変更し、業界の更なる変革を目指している。


2026

5

1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31