銀座男声合唱団ミニコンサートでの気づき

3月17日、銀座男声合唱団ではホワイトデーにちなんだミニコンサートを開催しました。

キャパシティが100人ほどの会場で、舞台も小さかったので40人の団員が揃って立つことはできません。
小編成の3グループに分けて、全体で歌ったことのある曲を三曲ずつ、をそれぞれが歌唱しました。


三者三様、色があって、編成を変えると曲もこんなに変わるんだな、と思いました。
本番で歌ってみて初めてわかることはたくさんありますが、今回は3グループによるコンクールのようにも見えて、たいへん興味深いステージでした。
銀座男声合唱団三代目団長として、団員たちと新しい体験をシェアできたこともうれしく思います。


組織内での小グループ編成を、会社の経営に置き換えて考えると、気づきは深まります。
いちばんは、メンバーの人間関係によってチーム力に大きく差が出てくるのが目に見えたことです。
音符通りに発声することをよしとしたグループがあり、恋愛の歌だから感情をのせて歌おうとしたグループがあり。


予想がついたかもしれませんが、僕のグループは感情をこめて歌いました。
個別練習を2回して、よろしくね、みんなで一つのものを作ろう、と僕から声をかけ、メンバーも応じてくれました。
ピアニストも濃やかな指導をしてくださり、とても感謝しています。


結果として、10人を超えるメンバー全員暗譜もできて、本番では楽譜を持たずに歌えました。
身振り手振りが使えますし、目線は会場に向けることができます。
楽譜を持って歌うのとでは表現力に差がつきました。


他の2チームは個別練習をしてきませんでした。
全体で歌ったことのある曲なので、小編成になってもそのときのように歌えばよいだろうと思ったのでしょう。
そこなんだよな、と僕は思いました。


40人で歌うときと10数人で歌うときでは、同じ曲でも変わるのです。
なぜなら歌うメンバーの人間関係が変わるから。
全体とグループとで一人がグループに占める割合が変わります。
つまり、それぞれにかかるウエイトが増します。
まとめる側も40人をまとめるのと10数人をまとめるのとではアプローチが変わりますし、教える人も教えかたが変わります。


僕は、それらの変化をプラスの方向でパフォーマンスに活かすことを意図しました。
しょせんはアマチュアだから、全力で楽しもうぜ、というノリも忘れずに。
その結果、うまい下手とはまた違うよさのある一つのチームになれたのです。


チーム力の構築がものをいう。
これは会社経営にも当てはまります。
能力が高い社員、仕事ができる社員に集まってほしいのは当然なのですが、その社員たちとともに過ごして一つのチームとして作り上げるのは経営者の役目。
つまり、経営者の人間力にかかっているのです。


盛和塾塾長の稲盛和夫さんは、世界の経営者のなかでもトップグループに入る優れたリーダーでした。
塾長はいわゆるコンパ、飲み会や食事会を大切にしておられました。
仲間とともに語らう時間を持ちなさい、という教えだったのですね。


令和になってますます会社の上司との飲み会が歓迎されなくなっていますが、仕事以外の場所で話をすることで打ち解けるという、社会人の本能みたいなものはなくなっていないのではないかと思います。


人間関係は一対一が基本です。
親子関係でもこどもが複数いるとして、親は自分対こどもたち、と考えがちですが、こどもたち自身はそれぞれ親と個別につながりたがっているといいます。
経営者と社員の関係も、僕たちのような中小企業ならなおのこと、僕とAくん、僕とBさん、という個別の関係がしっかりできていることが、組織の礎となるのです。


個々の社員との接点を増やし、個別の関係を構築した上で、担当部署という小編成のグループを作り、グループ同士を連携させて、会社全体を一つにまとめ上げていくという段階的なアプローチが必要です。


みんながみんなを支え合ってリスペクトする理想的な関係を実現したい、という思いが僕にはあります。
銀座男声合唱団でいうなら「心のハーモニーを響かせる」こと。
会社経営においても、とても大事なフレーズになると思います。



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髙倉 博

株式会社店舗ドック代表取締役

1970年、東京都世田谷区生まれ。
大学進学に失敗し簿記の専門学校へ進んだ経験が、「大卒者には負けない」という原動力となる。

卒業後、父親の会社で「自分が脇役の人生になってしまう」と焦りを感じて起業。
創業7年目の34歳で看板用LED事業で成功を掴むが、取引先の倒産などが重なり、36歳で1億円の借金を抱える。

最愛の母の死をきっかけに人生を見つめ直し、コンサルタント長山宏氏との出会いを経て再起。
「不安や不便を見つけ、クリエイティブに解決する」(快適の創造)というミッションを見出し、大手企業向けの看板業務代行に注力して評判を得る。

しかし42歳の時、社内クーデターを機に自暴自棄となり酩酊し、社員旅行の宿泊先の窓から飛び降りるも、標識に衝突し奇跡的に命拾いする。
自分を見つめ直し「看板で悲しむ人をゼロにする」という使命を確信し、「看板ドック」事業に邁進。

多くの顧客に支持され、2025年10月1日には、27年間続いた社名を「株式会社店舗ドック」に変更し、業界の更なる変革を目指している。


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