無理なく描く僕の未来予想図

昔から知っている社長仲間にいわれることがあります。


「髙倉さあ、なんでそんなに無理するの」

僕は聞き返します。

「無理ってなによ」
「知り合ったときはアパレルやってたじゃん。
歌姫のコンサートTシャツで当てたりしてさ、うまいことやってるなと思ったら、ある日いきなり看板屋になりますっていう」
「なったねえ、看板屋に」
「それだけでも意味がわかんないのに、つぎはなに『看板ドック』?
看板を人間みたいに精密検査するって、ますます意味がわからない」
「わかるだろうが、看板が入るドックだよ」
「看板屋っていう製造業だと思ってたのに、今度は測定屋になりましたっていうだろう」
「うん、測定屋になったよね」
「そうなのかあ、と思ってやっとわかった気になったら、ドックはドックでも『株式会社店舗ドック』ですって、社名まで変えちゃった」
「おかげさまで社名変更から7か月経ちました。覚えてくれたかな」
「もう無理。俺はついていけない」
「なんだ、無理なのはお前のほうじゃん」


ってね、ちょっと小噺を創作してみましたが、僕の社長業足掛け29年はこんなふうに推移してきました。
人からは、無理に無理して変わっていっているように見えるのかもしれませんが、僕としてはごく自然な流れです。
なりゆき、ではありません。
僕のなかでは至極当たり前の道筋を辿ってきたのだと思っています。


株式会社店舗ドックのNo.2である嵯峨根は、僕という存在がわからない、といっています。
前にも書いたように僕が宇宙人であることに対し、嵯峨根は偉大なる常識人だからです。
二人とも宇宙人なら会社は成り立ちませんし、二人とも常識人なら会社の成長は難しいでしょう。
常識人が隣にいてくれるからこそ、宇宙人はのびのびやっていられますし、宇宙人の隣だからこそ、常識人は自分の普通感覚を発揮できます。


嵯峨根語録の一つ。
「『看板ドック』という完成品があるから社長についていけます」
裏返すと
「『看板ドック』がなかったら、社長がいまなにをしているのかわからない」


「看板ドック」という完成品の上に、拡大して実現化した「店舗ドック」だから、嵯峨根は僕をトレースしていけるのです。
僕には半年後、さらに一年先まで絵が描けています。
嵯峨根は「看板ドック」から「店舗ドック」という線を伸ばして、半年後、一年先を僕と同じように見てくれていると思います。


少し前の、銀座男声合唱団の練習があった日のことです。
もより駅で二代目団長の馬渕泰太郎さんにお会いしました。
馬渕さんは、「おお」と声をかけてくださったあとで、ちょっと声を落とし
「お前、上場するっていってるけど、無理してないか」
と聞いてくださいました。


一瞬、目頭が熱くなるほどうれしいお言葉でした。
じつは、無理をしようとしている時期がついこのあいだまであったのです。
馬渕さんにはなにもいっていなかったのに、気づいてくださっていたんだ。
無論、馬渕さんなら、僕の様子を一目見ればおわかりだったのでしょう。


「大丈夫です。無理はしていないです」
胸を張ってそうお答えできてよかったと思いました。
上場は、会社を成長させる手段であって、目的ではない。
すでにそう自分に確かめられていたからです。


二代目団長の馬渕さんが僕を三代目に選んでくださった理由も、日を追うごとに肌身でわかってきました。
団長というこの場所に立って見えるものを見ておきなさい。
言葉にすればそんな教えをいただいているのではないかと思います。


優れた経営者には懐深い父性があります。
盛和塾塾長の稲盛和夫さん、銀座男声合唱団初代団長坂本孝さん、そして二代目団長馬渕泰太郎さん。
お三方の経営の父としての愛をいまも間近に感じさせていただいていることはこの上ない幸せです。


坂本さんが空の上から僕を見て
「なんと、三代目はお前かあ」
と朗らかにおっしゃっているのが聞こえる気がします。
「そうです、僕ですよ」
と空に向かってお返ししましょう。


なぜそんなに無理をするのかと聞く社長仲間。
無理はしていないかと聞いてくださる前団長馬渕さん。
僕の答えはともに「No」でした。


いまは「No」だけれども、いつか自分でも気づかないうちに無理の領域に足を踏み入れてしまうこともあるかもしれません。
ときどき自分自身に「無理してないよね」と問いかけることを忘れずにいようと思います。



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髙倉 博

株式会社店舗ドック代表取締役

1970年、東京都世田谷区生まれ。
大学進学に失敗し簿記の専門学校へ進んだ経験が、「大卒者には負けない」という原動力となる。

卒業後、父親の会社で「自分が脇役の人生になってしまう」と焦りを感じて起業。
創業7年目の34歳で看板用LED事業で成功を掴むが、取引先の倒産などが重なり、36歳で1億円の借金を抱える。

最愛の母の死をきっかけに人生を見つめ直し、コンサルタント長山宏氏との出会いを経て再起。
「不安や不便を見つけ、クリエイティブに解決する」(快適の創造)というミッションを見出し、大手企業向けの看板業務代行に注力して評判を得る。

しかし42歳の時、社内クーデターを機に自暴自棄となり酩酊し、社員旅行の宿泊先の窓から飛び降りるも、標識に衝突し奇跡的に命拾いする。
自分を見つめ直し「看板で悲しむ人をゼロにする」という使命を確信し、「看板ドック」事業に邁進。

多くの顧客に支持され、2025年10月1日には、27年間続いた社名を「株式会社店舗ドック」に変更し、業界の更なる変革を目指している。


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